決してあきらめない障害者の作り方

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出生時、「3,4日の命」と言われた私がすでに40代。
「人生あきらめなければ何でもできる」を
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そんな私の生命エネルギーが燃焼する瞬間を語ります。

日々の日常 障害と私

過去最大のピンチ、四肢障害の私が右腕骨折!骨折奮闘日記②こうして骨折した

投稿日:2017年12月23日 更新日:

奉子です。骨折奮闘日記2回目は、まず私がこの怪我をしてしまう経緯をお話したいと思います。

アホすぎて、誰にも文句が言えない。。。

2017年11月22日 友達に誘われ、帰宅後に焼肉店へ

焼肉

この日の数日前、友人から「くろちゃん、22日の夜、ご飯食べよう。予約の取れにくい有名な焼肉屋さんに予約入れたから」と、連絡が入ったのです。

野菜好きの私は、焼肉は自分の中では滅多に行かないお店の一つなので、まあいっかという感じで受けたのです。

私は、終業後、一旦家帰宅し、約束の時間に合わせて待ち合わせの場所に行きました。

 

しかし、私が待ち合わせの場所に着いた瞬間、友人から連絡が入り「遅れる」とのこと。

まあ、電車1本ぐらい遅れるのだろうと思っていたら、実際は30分以上遅れてきたのです。

22日は寒い夜でした。待っていたのは改札前の外の風がそのまま吹き付ける場所。

これで、私の両足は硬直してしまい、友人がやってきてそこから徒歩3分のお店に行くのも、ふらついていたのを覚えています。

美味しい焼肉と楽しいおしゃべり。そろそろ、お手洗いに行こう

トイレ

焼肉は炭を目の前に焼くので、身体は暖まっていたはずでした。

すべてのメニューを食べ終え、席を立ち、私はお手洗いに向かいました。

 

その店のお手洗いはトイレの扉の手前に段差が一段あり、段を降りて2,3歩先に左側の壁に沿って、トイレに入る扉が2つ並んでいました。

右の壁に軽く手を添えて、右足でトンと段を降りたはずの次の瞬間、私はバランスを崩し、そのまま真横に右手から落下転倒。

硬い床に肘を打ち付けてしまったのです。

夜の23時の出来事でした。

 

転んだ瞬間、腕に激痛が走り、立ち上がろうにも腕が動かない。

しかし、トイレには行きたい。

激痛に耐え、なんとか立ち上がり、トイレに入ることができましたが、すぐにショック状態の貧血が起きたので、トイレの中で収まるまで15分ぐらい耐えました。

 

思いました。

これ、アカンやつや。右手激痛で全然動かない。どうしょう。。。

これが天罰か?!夫が夜勤の日に私は悠々と友達と焼肉食べてたからなのか?

罰

実はこの日、夫は夜勤で夜は家には私一人だったため、ひとりご飯が嫌で友達との約束を入れたという経緯もあります。

それの罰というにはあまりにもひどい仕打ち。

ちょっと転んで、擦り傷ぐらいにしてほしかった。

 

この激痛は、過去に何度か骨をやってしまったときに経験している痛みと一緒。

しかし、今までは必ず左手だった。歩くのに大きな支障はなかった。

でも、右手は初めて。これ、本当に骨折だったら本当どうしたら・・?

 

色々な思いがよぎっても時間は巻き戻せない。

このお店から、私の家の最寄り駅までは電車に乗れば10分弱。

夫に助けを求めたくても夫は仕事。

 

あまりの痛さに、一緒にいた友人は「タクシーで病院に一緒に行こうか?」と言ってくれたのですが、なにせ夫も留守なところに自分の知らない病院に連れて行かれても困る。

 

また「家まで送ろうか?」とも言ってくれましたが、友人の家は堺。私を送ったら今度は友人が家に帰れなくなってしまう。

 

激痛で自分で上着を着ることも、リュックを背負うこともできない状態でした。

そこだけ一緒にいた友人に手伝ってもらい、「地下鉄にさえ乗れれば、家まで自分で帰れるはず。」

そう思って、私は駅で友人と別れて家になんとか帰る決意をしました。

い、いつもの階段の手すりが持てない。そして家に入っても動けない。私どうしよう

HEIP

友達と別れた場所から地下鉄の改札までの間に、下りの階段を降りる必要がありました。

いつものように右側の手すりを持ち、降りようとしてました。

しかし、手すりを持った瞬間「激痛」

仕方なく、反対側の左側手すりに移動し、地下鉄の改札に向かいました。

 

私にとって左手は、元々の障害で麻痺も強く、上手く身体を支えることできないため、左手すりで階段を降りるのは、右に比べるとかなり不安定で怖いのです。

それでも今は、たとえゆっくりすぎて誰かに睨まれたとしても、右手が使えない今、左手すりで階段を上り下りするしかなかったのです。

 

ありがたいことに、私の最寄りの地下鉄は、車椅子の友人がファンになるほどの、この上ないバリアフリー電車です。

電車の乗り降りだけは、扉付近の手すりさえ確保できれば、なんとかなるのはわかっていました。

無事に最寄り駅に着いて、雨も降り出し、痛い手で傘を広げ、夜の暗い中をもう根性で家にたどり着き、家の鍵は左手で開けました。

 

家の玄関で、ふと思いました。

「私、靴どうやって脱ぐん??」

 

立った状態で手を使わず靴を脱ぐことができない私は、玄関でフリーズ。

玄関に座り込んだものの、左手を使って靴を脱ぐことができず、といって右手も激痛で動きません。

結局、玄関で靴を脱ぐだけで30分以上は格闘し、靴はなんとか脱げました。

 

しかし今度は、前向きに床にお尻を付けて座っている姿勢から、立ち上がることができないと部屋の中に入ることができません

本来であれば、這うという行為ができれば家の中には入ることができたとしても、右腕に激痛が入り這うことも不可能。

 

結局、左手だけでなんとかお尻を動かして家の中に入るものの、立ち上がることもできず、電気も付けられません。

「携帯を取り出して電気でも」と思ったらそこでバッテリーが上がうという災難。

携帯の充電をするには、隣の部屋まで移動しなければいけませんでした。

しかし、もう右腕が痛すぎて、左手だけでお尻を動かす力もなくなっていました。

 

真っ暗な部屋。ここにいるのは自分ひとり。誰も助けてくれない。

自分の家なのでどこに何があるかはわかっているので、テーブルの脚や棚等縁を使い、なんとか寝室にたどり着くことができました。

家の玄関の鍵を開けてから、1時間半以上経過

いつもは立った5秒で行ける距離がこんなに遠いとは・・・(>_<)

 

 

泣きたかった。

しかし、泣いてもこの手が、時間が巻き戻るわけではないのです。

夫が夜勤の日に友達と焼肉食べて、勝手に転んでケガしたのは自分。

誰のせいでもない。自分が悪いのです。

 

その後、痛い手で携帯を充電し、友人に家の中に無事に入ったことを知らせました。

その後よく覚えていませんが、どこか柱を使って立ち上がることができた私は、焼き肉店でお土産にもらった肉の塊を冷凍庫になんとか入れ、トイレに行き、左手と右手の補助で歯を磨き、とても苦労してパジャマに着替えました。

 

そして、冷凍庫にあったアイスノンを持ってきて、きちんと布団も掛けられないまま、右手の下に置き、布団の上に寝たというか転がりました。

激痛で寝られるわけもなく、そして寒さで夜中にトイレで目覚めるのです。

右手が使えない中、何度かチャレンジして立ち上がり、トイレに行ったという記憶があります。

でもその立ち上がる方法はあまり覚えていません。

 

とにかく痛みに耐えながら、たまには眠ったようで、朝が来るのを待ちました。

明日になったら痛みがなくなっているかもしれない。

そんな、淡い期待を持ちながら、ひとりで不安な夜を過ごしました。

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