出生時、「3,4日の命」と言われた私がすでに40代。
「人生あきらめなければ何でもできる」を
全ての人々に証明したい。
そんな私の生命エネルギーが燃焼する瞬間を語ります。

障害と私

お久しぶりです。生まれ変わった奉子です。もう、意地を張るのはやめました。

奉子です。お久しぶりです。約1年ぶりの更新ですね。

今日は本当は5/13発売の私の青春を捧げた「FIELD OF VIEWの25周年超レアベストアルバム」のライナーノーツを書こうとPCを立ち上げたのですが、よくよく考えたら1年もブログ更新していない。

しかも、私が前回書いた記事って、吉野で青の交響曲乗りに行ったときの記事だし、決してうつヌケしてたわけじゃないころだなあと思ったら、そこ書かないと、私が「まだうつ病真っ盛り」だと思う人もいるかもなあと思うので、軽くそのことを書きたいと思います。

私のうつ病は完全に思考感情をストップさせ、定型の思考を通さないことしかできなくさせました。

私は、2018年夏頃からうつ病を患い、冬に休職するところまで追い込まれ、4ヶ月半仕事を休職。

仕事に復帰したのが2019年の5月GW明け。そこからリハビリ出勤で勤務時間を徐々に延ばしていきました。

やる業務が確実に決まっている職場では全く問題なかったものの、休みの日は自分で何かをしたいという思考が止まったままで、とにかく職場と仲間との楽器練習のために過ごす時間以外は、かなり苦痛も多かったです。

仕事が原因のうつ病ではなかった上、仕事に行くと「自分が必要とされている実感」もあったので、復帰した最初の2ヶ月ぐらいは、まだうつの症状の「手順がわからない。思い出せない。自分で優先順位を付けられない」等で結構しんどかったのです。

しかし、夏以降は、家では全くダメでも「職場ではどんどん調子が良くなる」という感じでした。

え~!また入院??どうしよう、またうつがひどくなって休職したら。。。

しかし、ちょうど復帰して半年後、11月10日、事件は起きたのです。

いつもの転倒により左手甲を骨折。(骨ケガ多すぎて何回目のケガかもう数えられない(苦笑)

レントゲンを撮ったら骨がズレていたので、オペが必要な骨折でした。

それを聞いたとき、私は2年前の「右腕骨折、入院手術により、仕事2週間以上離脱」のことを思い出し、恐怖になりました。

 

うつ病は、リズムよく生活するというのが結構大事なポイントです。

あの入院というイレギュラーなことが入り、せっかくうつ病が良くなってきていて、仕事もずいぶんちゃんとできるようになってきたのに、ここでリズムが崩れて、また休職になったらどうしよう!!

それに入院準備なんて、今の私にできるわけない。。(うつの症状で新しいことの段取りが自分で取れないのです)

 

実はこの「オペが必要だから、紹介状を書くね」と言われたとき、私は入院が回避できないか少し抵抗したのです。

しかし、先生は「これ、オペしないと、ちゃんと治らないよ。楽器も持てないと思う」と言われ、諦めました。。

骨折した日に感じた言葉「その生き方止めなさい。今よりもっとしんどくなるよ。」

箕面公園

実はこの骨折した日に頭のどこかに言葉が降ってきたのです。

「その生き方もう止めなさい。今よりももっとしんどくなるよ。それでもいいの?」

 

「私(奉子)=元気な障害者。何でも立ち向かって戦う。逆境を乗り越えて自画自賛。そういう自分が大好き」

私が今まで44年、思ってきた私の生き方が↑で、私はそういう自分が大好きでした。

何ごとも負けず嫌いで、立ち向かって、障害者だからといってなめられたくなくて、健常の友達と同じように何でもやりたいがために、見えない場所でも含め、ものすごく頑張る。

 

一般的なうつ病になりやすい人のイメージが「自分に自信が無い。自己肯定感が低い。内気な性格」だったので、私は自分では「私はうつ病には一番無縁な人間だ」と思い込んでいました。

しかし、そんな私が、確実に病院で「中程度以上。(一番動けなかった頃は、病院の先生に)身障者手帳出せるレベル」と言われたぐらいのうつ病になりました。

 

自分でもとてもびっくりしました。

私がうつ病になったとき、周りは全員「今まで頑張りすぎやねん。休みなさい。頑張るのやめなさい」と言いました。

でも、私は自分の頑張る生き方こそが、今までの私を作り、だからこそここまで来られて、そんな自分が大好きだったため、周りにそれを言われても「今までの私否定」みたいで、腑に落ちなかったのです。

 

そして、そんな中での11月の骨折とこの言葉。

「その生き方もう止めなさい。今よりももっとしんどくなるよ。それでもいいの?」

私はこれを感じたとき「今の思考が止められたうつ病が、やっと良くなってきたのにこれよりしんどいのって・・もう無理。。

実は5月に会社復帰して直後に「魔法の教室」 という 人間の中にある潜在意識と顕在意識の関係、「自分を愛する」ということはどういう生き方なのか等、心が軽やかになる生き方のヒントを教えてくれるような講座を受けたのですが、そのときに学んだのは「潜在意識」のウニヒピリ(ウニちゃん)の声を大事にすること。

ウニちゃんは一般的に単純作業等をしているときに、突然「ふと」浮かぶことが、その潜在意識のメッセージと言われているのですが、私はこの言葉がウニちゃんからのメッセージのように感じたのです。

 

そして、合計回数15回以上の私の繰り返す骨折。

このとき突然気がついたのです。「そういや、私、大きい骨折した直後、全部良いことも悪いことも起こってて転機になっている」と。

骨折翌日の夫と行った箕面。本当にこのときにうつヌケしました

箕面の滝

実はその骨折した翌日に、夫が私にこう言いました。

「気分転換に一緒に滝でも見に行かない?」

私は箕面の滝がどこにあり、駅からの徒歩距離もよくわからず、骨折してしんどいので気分転換に良いかなと思って行くことにしたのです。

 

箕面に着いて、私はある大きな変化に気がつきました。

「あれ、私めっちゃ楽しいとか、美味しいとか、気持ちが良いとかすんごい感じるんだけど!!!え?これいつぶりの感覚?すごくない?」

本当に本当にいきなり、止まっていた思考も感情も感覚も一気に戻ったのです。←嘘ではなく本当の話です。

 

この箕面に行った翌日、オペをするための相談に大きい病院を受診したのですが、先生に「うつ病持ちであること。あまり長い入院はしたくないこと」を伝えたところ

「このケガのオペなら2泊3日でいけるよ。会社休みたくないなら、木曜日入院、金曜日手術、土曜日退院でどう?それなら月曜日会社行けるし、入院準備も下着だけ持ってきたら良いよ」

 

とあっさりしたものでした。

実はもうこの病院受診の頃は思考が戻っていたため、あんなにできなかった「段取り」もすぐに思い浮かび、自分で入院前に「高額医療限度額申請」を取りに「協会けんぽ」にも行きました。

本当の意味で、無駄な抵抗はやめました。

ゆるやかに音楽

この骨折後は、急に友達との楽器セッションの本番が翌年7月、8月に決まったりと、あんなに大変だったうつ期間とは全く別の世界になりました。

今年の春はコロナ騒動に見舞われましたが、「コロナうつ」になることは全くありませんでした。

まあ、コロナ太りにはなりましたけどね。

 

実は大きな声では言えませんが、これをタイプしている私は1週間前、また転倒で左手薬指付け根に「ヒビ」いかしております。(苦笑)

半年前の「骨折=何かのメッセージ」という構図がわかっているので、今回のヒビも自分のコロナ自粛による体調の変化の認識の甘さと持っての性格の「おおちゃく」が原因なのは分析済です。

たまたま、オペした病院の受診日が重なり、先生に「またケガ増やしたねー。でもオペも要らんし、指でよかったやん。足やったら救急車で完全アウトやんw(笑)」と言われる始末。

 

今まで私は、障害者の自分をできるだけ「健常者と同じように動ける自分」にしようと、ずっと必死でした。

しかし、最近は杖持っていても転ぶし、ケガしたら骨折箇所より他の身体の部位がどんどんつらくなってきました。

 

「杖を持たずに今まで通り、早歩きしたい」ってどこかで思っていましたが、今更それができたところで、何の得になるんだろう。

もう学校行事でみんなと同じ速さに行動する必要も何も無いのにね。

20代のときに参加した障害者ばかりの泊まりがけの講習で、50代の車椅子のおじさまが「40過ぎたら身体しんどくなるよ」っておっしゃっていたのですが、そのときはピンときませんでした。

今、「ああこれかー。病院の先生に「障害のある私らは実年齢+10歳の身体」だと思いなさいって言われたけど、今55歳なら抵抗してもしゃーないやん」って思います。

 

私、意地張って、頑張ってなんでもやろうとする生き方、止めます。

別に杖ってたら好きなところ行けるなら、それでいいし、ライブもスタンディング無理だけど、椅子お願いすれば良いんだし、

走るの無理なら、もっと余裕を持ってゆっくり歩いて行けるように、早めに用意する方を努力すればいいんじゃん。

 

それにしても、このアホなヒビ骨折のせいで、明日ある「2ヶ月半ぶりのみんなとの楽器練習」に楽器なしでの参加です。

今回経過も良いので、2週間後は楽器が持ちたいです。そうでないと7月の本番出られない。

この骨折は、私が慎重な性格なら確実に防げたと思っております。

まだまだ未熟な私ですが、これからもよろしくお願いします。

 

 

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