決してあきらめない障害者の作り方

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出生時、「3,4日の命」と言われた私がすでに40代。
「人生あきらめなければ何でもできる」を
全ての人々に証明したい。
そんな私の生命エネルギーが燃焼する瞬間を語ります。

こんにちは。奉子(ともこ)です。

奉子(ともこ)です。

ともこという名前はメジャーですが、この漢字を使う人は少ないので、個性が出るかと思い、この名前にしました。

出生時の母体トラブルが原因で、8ヶ月で帝王切開。京都市伏見区で1330グラムで生まれました。

私が生まれた昭和50年当時の医療では、この位の体重で生まれた子どもは助からないとされ、私の両親も医者から「3、4日の命でしょう」と余命宣告を受けたそうです。

ところがどっこい、3、4日ところか40年以上生きております。

しかし残念なことに、生まれてすぐ入った保育器の酸素濃度が薄かったために、脳の運動機能を司る分野に酸素が行かず、身体に障害が残りました。

障害名は脳性麻痺です。

その後の私の経歴です。

まずは小学校入学まで。

1歳8ヶ月出会った鍼灸院の先生のおかげで歩き始める

2歳:片道1時間15分。障害者通所保育施設に通園開始

3歳:毎日乗っている京阪電車に名前を付け始める。鉄子への芽生え。そしてこのときすでに阪神タイガースファンであったと思われる。

4歳:目の斜視の手術のため、初入院。面会禁止の子ども病院。初めて親と離れ、健常者と自分の違いを意識する

6歳:障害者通所保育施設とは別に、近所の公立幼稚園に通い始める。この年、集団音楽教室に通い始める。音楽との出会い

7歳:養護学校(現特別支援学校)ではなく、普通公立小学校に入学

9歳: 初めての足の手術。入院中、病院内に「障害のある子どもを普通校に行かせたいと思う、親のための会」ができる。この会が今後の私の人生に大きく影響することになる。

10歳:阪神タイガースが21年ぶりの優勝を果たす。実はこの年、TVで見たルーキー「和田豊」という選手に魅了され、ここから私のトラキチならぬ和田キチ人生が始まる。

続いて10代

13歳:中学校入学。この頃、同級生が持っていたフルートに憧れ、個人レッスンを受ける

16歳:高校入学 念願のブラスバンド部入学。いったん挫折したフルートをまじめに取り組む。高校3年時、姉に連れられ、ついに人生初甲子園。

18歳:大学入学 文学部史学科専攻のはずなのに、社会福祉学科の友人が多くできる。

激動の20代

20歳:ドラマ主題歌だった「君がいたから」を歌うバンド「FIELD OF VIEW」の曲に魅了され、その後の人生に大きく影響することになる。

22歳: 教育実習を蹴って音楽療法の専門学校に通う。いわゆるダブルスクール。

23歳: 大学は無事卒業するが、音楽療法の専門学校は2年目継続中。

24歳: 音楽療法の講習会で出会った心理療法士の方に、不登校の生徒の相談相手の仕事を依頼される。

25歳: 大手化粧品メーカーに営業事務として入社。OL人生が始まる

そして30代から今まで

32歳結婚。結婚して親のありがたみが痛いほどわかる。伏見から大阪市鶴見区へ引っ越すも、寿退社した会社の大阪支部に2ヶ月で呼び戻される

35歳人生初の転職。今度は庶務として、大手治験業務支援会社に入社。この会社で人生最大の厳しい試練に遭う

37歳9月: 退社

このとき、夫までもが同じタイミングで仕事を退職し、夫婦2人でいきなり無職に。しかしこの夫婦で過ごした無職時代に、今まで果たせなかった色々な経験をする

同年11月:再度転職活動をし、酒の小売り、卸販売会社会社に就職。

現在:同会社の人事総務課の一員として勤務中。

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