決してあきらめない障害者の作り方

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出生時、「3,4日の命」と言われた私がすでに40代。
「人生あきらめなければ何でもできる」を
全ての人々に証明したい。
そんな私の生命エネルギーが燃焼する瞬間を語ります。

障害と私

「自分の人生自分で決めろ」~障害者の私に浴びせられた言葉

2017年1月31日

奉子です。今日は私の高校時代の話をします。

高校生活は順調、しかし、親離れできない生活

障害者は車

中学時代のの成績はたいして良くなかったものの、家庭教師の先生のおかげもあり、なんとか第一志望の公立高校に入学。

先日書いたこちらの記事にもあるように、高校になってからいきなり友達も増え、部活ではひどい落ちこぼれでしたが、高校生活は本当に楽しいものでした。

そんな私には他の友達とはひとつ違うことがありました。

 

週2回の学校帰りの鍼灸院通いです。

学校の荷物カバンはかなり重いので、鍼灸院がある樟葉まで持っていくのはかなり邪魔でした。

家は駅とは全く逆の方向です。

私はほとんど歩けなかったので、小学校時代は毎日学校まで両親が送り迎えしていました。

私が中学になる頃には歩ける距離が伸びて、ひとりで通学できるようになったため、母がその「鍼灸院に行く日」だけ帰り時間に学校の門の前に来て、私の荷物を取りに来るのでした。

つまり、私の生活には「鍼灸院」「リハビリ」「両親」というのは3点セットでした。

事件!母親が勝手に担任の先生に大学の推薦状を依頼

人生の道しるべ

忘れもしません。高校3年の時です。

大学に進学したいと考え、家から30分で行ける大学に志望学科があったため、そこを第一志望にしていました。

その大学は吹奏楽部も有名な大学です。

しかし、高校時代の私の成績は、その第一志望の大学に、ほど多い偏差値でした。

そこで、母親は何を思ったか、担任の先生に電話し「第一志望の大学のクラブ推薦の入学推薦状を書いてほしい」と依頼したのです。

 

 

びっくりです!

もちろん、私はそんなことは母に頼んでいません。

本当に母が勝手にです。

 

高校の部活で落ちこぼれすぎて、コンクールにも出られなかった私が、クラブ推薦なんか通るわけもありませんし、私自身、正直これ以上あの厳しいクラブを続けたいとも思っていませんでした。

「何で私に許可もなく、勝手にそんなことするのよ。私がクラブでどんなに落ちこぼれなのかも知らないくせに。余計なことしないで」

もちろん、私は家で母に激怒しました。

「だって可能性には全部試した方がいいじゃない~」全く私の言葉に聞く耳ももたない母です。

翌日学校で、担任に呼び出される私・・・結末は

母が勝手に、担任の先生に推薦状を電話依頼した次の日、私は学校で担任の先生に呼び出されます。

先生「昨日な、お前のお母さんから、大学のクラブ推薦状を書いてほしいって電話あったんだけど、知ってるよね」

私「はい。知ってますが、母が勝手に電話したみたいですみません。私は要らないって言ったんですけど」

先生「俺、ひとつお前に言いたいことがあるねん。別に推薦状書くぐらいのことはいくらでもするけど、

 

 

お前の進路やのになんでお母さんが決めてるねん?

お前の人生はお母さんが決めるんか?

じゃあお母さんが死ねっていうたら、死ぬんか?

お前は高校3年生もなって、自分の人生自分で決められへん、お母さんのいいなりか?

自分の人生は自分で決めなくてどうするんや!」

 

と大声で、先生に怒鳴られたのです。

その次の瞬間、職員室を出たところにある、机と椅子がある場所で声を上げてわんわん泣きました。

障害者の親って、両極端です

一般的に障害のある子をもつ、親というのはものすごく溺愛して過保護が、逆にもう存在を隠そう隠そうとして、育児放棄ぐらいの勢いかどちらかが多いです。

もちろん、どちらでもない親も、もちろんいます。

私の親は過保護タイプ。私の母は「私は一生この子と一緒に過ごす。私がこの子の人生を決めて幸せに安全にしてあげなくっちゃ」タイプです。

障害という一般と違うハンデがあるために、健康な子より「親が自分で守ってあげなければ」感が強く、出かけたりするのも基本親が一緒。

そのため、何でも親がその子のすることを「これがいいと思うよ」ぐらいの勢いで、決めてしまい、その子の意思というのは確認されないこともあると思います。

 

いわゆる私も「鍼灸院」「リハビリ」「両親」がデフォルトだったため、親の意向に、自分のやりたいことをシフトしていた傾向も強いです。

しかし、その担任の先生の一言は、本当に本当にキツかったです。

今まで親の言うことを聞くことが一番だと思っていた自分に初めて「自分の人生。生き方」を認識させてくれたのですから。

親の意向。障害者手帳を申請せず。20歳のときに自分自身で申請

障害者手帳

私の両親は、私が障害者だとわかっても障害者手帳を申請しませんでした。

理由は「手帳を持つことで、背中に「障害者です」」と貼られた気がして、たぶん健常者、障害者の区別をされた気がするからなのだと思います。

あと障害者手帳は各種の割引も多く、「いわゆる人様の税金で恩恵に預かるほど生活に困ってない。」という意地もあったのでしょう。

幼稚園の時のヘルメットも、身障手帳があれば、補装具の補助金が出ますが、なかったので実費だったはず。

え?見た目誰が見ても障害者やのに、手帳がないと利用できない?

私が19歳。大学1年の時です。

「京都市障害者スポーツセンター」という、身障者専用の市営のスポーツセンターがあるのですが、私はそれまでそこの利用証を持っている友人と、一緒に行っていました。

利用証1枚につき、2名まで入れるのです。

 

しかし私としては「ひとりでも、プールも泳ぎたいし、障害者用に上手く使いやすくなっている機器も利用してみたい。」

と思い、受付で利用したい旨を伝えると

「ごめん。ここのセンターは身障手帳がなければ、どんなに見た目にわかっても利用できないのよ」

またもや衝撃でした。

世の中は見た目にいくらわかっても証明書がなければ、利用できない仕組みなのです。

確かに、交通関係の割引も手帳がなければもちろん受けることはできません。

 

母に「スポーツセンター利用するには手帳がないと無理やねん。自分で申請するわ」と伝え、自分で病院に行き診断書も出してもらい、身障手帳を取得しました。

初めて、親の意向ではなく、自分の意思で行動した出来事かもしれません。

自分のやりたいことをやり続ける毎日

目標に向かって

結局大学は第4志望の大学に現役で合格。

先ほどの手帳の話にもありますように、大学入学以降は自分の意思で何でも決めて行動するようになりました。

母親に文句を言われても「自分の人生自分で決めるんだからええやん」と言い返しました。

大好きになったバンドFIELD OF VIEWも「やりたいことやろう」が合い言葉

私が20歳のときに、本気で心から好きになったバンド「FIELD OF VIEW」のボーカル浅岡雄也さんもいつも「やりたいことやらなきゃだめだよ」という人です。

FOVの歌の常に前向きに「自分の人生自分で決める。やりたいことやる」の歌詞が、さらに私をパワーアップさせていったのだろうと、今更ながら思います。

FOVの思いや、ライブレポはまた別の機会に過去記事からもご紹介したいと思います。

結局、私の今も続く「自分のやりたいことを常にやり続け突き進む」人生は、あの高校の時の担任の先生の一言がなかったら、全く違ったものになっていたかも知れません。

N先生、あのとき怒鳴ってくれて本当にありがとうございます。

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