決してあきらめない障害者の作り方

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出生時、「3,4日の命」と言われた私がすでに40代。
「人生あきらめなければ何でもできる」を
全ての人々に証明したい。
そんな私の生命エネルギーが燃焼する瞬間を語ります。

障害と私

青いカナヅチ障害者の私、メダカになる!

奉子です。今日は私自身もびっくりしたある成功体験のお話をしたいと思います。

プールなんて大嫌い。全く泳げなかった私

脳性麻痺という障害にとって、水の中で身体を動かすことはとても身体にとって良いこととされています。

水の浮力で身体が動くので、普段自分で力を抜くことが出来ず緊張している身体も、余計な力が入らず身体を動かすことができるのです。

しかし、私は「水が怖い!」と強く思っていました。

 

小学校の体育のプールの授業は、何クラスか合同で入ります。

全く浮くことが出来ず、沈んで水を大量に飲んでしまう私は、とにかく怖くて浅いところで適当にしていました。

泳ぐところでかぶるスイミングキャップですが、皆は白色に対して、私だけ真っ赤に染められたキャップをかぶらされておりました。

危険

理由は簡単です。本当に泳げないために、どこにいるかわからないと危険だからです。

幼稚園の時のあのヘルメット事件があったため、やはりどこかで抵抗があったのは確かです。

しかし、今回は見つけられなかったら溺れて命の危険があります。

皆と同じキャップが良かったですが、ここだけは自分でもしょうがないなあと思っていました。

先生の鬼!プールの時だけは担任の先生に本気で反抗

小学校に無事入学した私ですが、小1~小4まで同じ担任の先生でした。

先生は私を本当に他の子と私を区別はせず、体育の授業も見学ではなく、できる範囲で普通に参加です。

たとえば、走るのは他の子の倍の時間がかかるため、運動会時は、ハンデで半分前からスタートします。

ドッチボールも普通に一緒に参加ですが、ただ、私はやってきたボールを受け取ることはほとんどできませんでした。

そしてプールの授業も同様のはずですが、私には恐怖でしかなかったのです。

 

プールが私にとって、身体に良いと知っている担任の先生です。

プールの授業は先生は通常プールサイドで監視している立場なのですが、私の担任の先生は自ら水着に着替え、中に入ってきます。

そして、私を抱きかかえ、深いところに連れて行くのです。

まだ自分で浮くこともできない私です。

小学生になっていましたが、「やめてー、嫌ー、怖いー、」大声で泣き叫んでいました。

泣き叫んだら、止めてもらえると思っていたのです。

しかし無理でした。

基本的には大好きな先生ですが、プールの時だけは、本気で先生のことを鬼!と思っていました。

えー!水泳教室?!無理無理ムリー(泣)

嫌い

学校の授業でさえ、そこまで泣き叫んでいる私を、なんと私の母が、市主催で期間3ヶ月間で実施している水泳教室に私を通わせ始めました。

これも小1のときの話です。

夏場の恐怖のプール授業が終わり、ほっとしているのもつかの間、母は断固拒否する私を引っ張って水泳教室に連れて行きました。

 

私より年齢の小さい子もいました。

大人用の25mプールを使っての教室なので、プールの1/4幅ぐらいには浅くなるようにすのこが設置されています。

つまりキックの練習とかはそこでみんなでやるのです。

 

その浅瀬にいるうちは良いのです。ビート板やヘルパーを付けているときもまだ良いです。

しかし、教室です。

もちろん、ビート板もヘルパーも取って泳ぐときが、1日の中で、必ずやってくるのです!!

当然、泣き叫んでいました。浮けないのですから・・(泣)

絶対行きたくない。母に反抗。ついに登校拒否ならぬ、プール拒否

かなづち

とにかく水泳教室だけは本当に嫌でした。

他のことは我慢できても、これだけはどうしても嫌でした。

本当に嫌という気持ちが強かったため、プールの日は学校に迎えに来る母に、見つからないように隠れたりもしました。

プールに行くという言葉を聞くだけで、顔や唇が真っ青になり、微熱も出しました。

いわゆる身体の拒否反応です。

体調が悪くなれば、あきらめてくれる、そう思ったのは事実です。

それでも私の母は、水泳教室に私を連れて行くことを決してあきらめませんでした。

母には見抜かれていたのです。これが拒否反応だということは。

同じ教室の子にバカにされるも関係ない

他人の目の前で、小学校に上がっている子が大泣きする。

決して良いことではありません。恥ずかしいです。

しかし、当時の私は、周りの子に足のことで悪口を言われようが、泣いていることを言われようが開き直っていたというか、自分でもここだけは絶対出来ないと思っていたのです。

足のことや泳げないことでバカにされることは多々ありますが、それでも「泳げなくても私にはピアノがある」ぐらいに思ってたのです。

母はその水泳教室に、小1 小2の2回通わせました。

2回とも大泣きしていたような気がします。

それぐらい本当に水泳が大嫌いだったのです。

 

えー?4年生なのに。低学年対象の学校の水泳教室に先生の指示で参加

小3のときは夏休みに足の手術で入院していたため、毎年夏休み中にある「夏休みの水泳教室」および「泳げない生徒のためのメダカ教室」は免れました。

正直言って入院や手術は決して良いものではありませんが、あの嫌いなプールに行かなくて良いというのはとてもハッピーだったことを思い出します。

 

私が10歳。小学4年の時の話です。

基本、学校が実施する泳げない生徒のための「メダカ教室」は小学校3年までが対象でした。

しかし、担任の先生(前出、私がプール時のみ、鬼と思っていた先生)は私に「○○さん、メダカ教室行きなさい」と指示したのです。

4年は対象じゃないのに恥ずかしいと思いながらも、先生の言うことは絶対だと思っていた私は、夏休みの「メダカ教室」に渋々行きました。

 

メダカ教室に行ってみると、そこには仲良しの同級生の友達も来ていました。

つまりひとりじゃなかったのです。よかったー。

その頃は、顔はなんとかつけられるようになっていました。

 

仲良しの友達としゃべりながら、顔をつけて、プールの端を持って、浮く練習をしていたのです。

そこには友達以外にも同日同グループになった別の学年の子もいたと思います。

今までまともに浮いたことなどないのに、友達と楽しくしゃべりながら練習していたら浮けたのです。

え?私泳げたん?私がメダカになった日

めだか

今まで溺れていた私が、プールサイドを持ちながらも浮けたとき、自分でもびっくりしたんです。

「今度は持たずにやってみよう」

すぐつかまることができる位置で練習しました。

またできました。

じゃあ、もうちょっとやってみよう。手とか動かしてみよう。

そうこうしていたら、いきなり、プールの横から横の距離を泳いでしまったんです。

自分でも本当に本当にびっくりでした。

私、およげたーーーー!!嘘ー!できたーー!!

その日のうちに25m ありえない!!

実は、プールの横の端と端を初めて泳いだ私ですが、なんとその日のうちに25m泳いでしまったんです。

プール拒否で顔を真っ青にしていた私が!泳げなくて赤帽をかぶらされていた私が!初めて泳げたその日に、25mも泳げてしまったんです。

周りも本当にびっくり仰天な出来事でした。

担任の先生大喜び

親子プール

たった1日でそれだけ泳げたので、もちろん担任の先生のびっくり。

とても喜んでくれました。

そしてその泳げたことで、特別赤帽は卒業でき、皆と同じ色のスイミングキャップをかぶること出来まました。

次のシーズンには50mまで可能に

女性が泳ぐ写真

初めて泳げたのが10歳、小学校4年でした。

次の年も当然水泳の授業はあります。

私はなんと次の年、つまり小5のときには50m泳ぐことが出来るようになります。

5年と6年の2年間はさすがに4年までの先生とは違う担任の先生だったのですが、50メートル泳げたのはやはり夏休みの水泳教室でした。

出席のスタンプを押してもらうために職員室に行ったのです。

そこには4年までの担任の先生がいらっしゃり、50m泳いだことを報告すると、先生も

「嘘みたいやな。小2のときまであんなに泣き叫んでたともちゃんが。すごいね。ここまで泳げるようになるなんて。あのときあなた、先生のこと鬼みたいに思ってたやろう(笑)」

「はい。そうです。先生ごめんなさい」笑ってそう言った私でした

まとめ

基本はやりたいと思っていることは完遂する私でしたが、水泳だけは全く別の話だったんです。

絶対無理と思っていた私がある日突然できるようになったんです。

人間、絶対出来ないなんてことはない。ということを証明した出来事でした。

確かにこの経験のおかげで、私は今日まで「さすがに難しいかも」と思ったことも、あきらめずに根気よく続けてみるという力が、ついたのかもしれませんね。

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