決してあきらめない障害者の作り方

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出生時、「3,4日の命」と言われた私がすでに40代。
「人生あきらめなければ何でもできる」を
全ての人々に証明したい。
そんな私の生命エネルギーが燃焼する瞬間を語ります。

日々の日常 障害と私

障害者の恋愛、一番の強敵は産みの親だった

投稿日:2017年2月20日 更新日:

奉子です。ご存じの方も多いとは思いますが、私は既婚者です。

夫は健常者か障害者かでいえば、健常者です。

夫との出会いについてはすでにお話しておりますが、私は夫と最初に出会ってから結婚に至るまで、10年という長い時間をかけております。

今日は私の体験ですが、障害者の恋愛の障壁であったひとつのお話したいと思います。

 

え?第一印象が最悪だった二人が急展開。

愛の告白

インターネットのFIELD OF VIEWファンサイトを通じて知り合った私たち。

しかし、お互いの第一印象は最悪でした。

そんなふたりが、どうしてつきあって結婚をしたのか?

 

少なくとも私は、こちらの記事にありますように、言語聴覚士の学校の試験に落ち、落ち込んでいたところに、

「半年以上交流していなかった彼が、私を覚えていてくれ、普通に接してくれた」というのがきっかけで、今までとは別の感情が沸いたという事実はあります。

しかし、これだけではつきあうことにはなりません。

 

ある事件が起こるのです。

事件は私のOL生活初日に起きた!!

私は25歳になる年の6月から、初めてのOL生活を始めます。

大手化粧品メーカーの、営業事務の仕事でした。

今日から社会人、会社に制服もあり、気持ちが引き締まります。

 

初出勤を終え、いつものようにPCを開けます。

このときちょうど、半年以上途切れていたTくん(後の私の夫)とのメール交換が再会して3ヶ月くらい経った頃です。

Tくんからメールが来ていました。

そこにはこんな一文が

「僕は君が好きです。つきあってください。」

 

そう、数ヶ月前から密かに私が恋心を抱いていた相手に、私は突然告白されてしまうのでした。

OL初出勤初日の出来事だったので、今でもよく覚えております。

本当に本当にびっくりして、

「あのー、私、社会人1日目終わったところなんですけど・・・そんなん言われても困るんですけど」

と思いながら、嬉しかったのは本当です。

 

しかし、事態はすぐにそれをOKできない状況がありました。

しかも東京と京都の遠距離です。

恋愛に免疫のない私には、ものすごくきつい状況でした。

 

告白はされましたが、本当に身を引こうかと考えた時期もありました。

そのきつい状況も、なぜか周りの状況が自然と良い方向に向いていったのです。

最初の告白から2ヶ月後、紆余曲折を経て、私とTくんは正式にお付き合いを始めることになるのです。

本当に私でいいのか?付き合い始めに私がまず聞いたこと。

カップル鶴

遠距離恋愛で、付き合い始めた私たち。

つきあうと決まったとき、彼にまず最初に聞いたのは「本当にこの障害のある私で良いのか?」ということです。

当時私は25歳。このまま2,3年付き合うとなると、当然結婚が視野に入ってきます。

 

私には数年前、「障害があるから受け入れらなれない」と言われた経験があったからです。

本人が気にしなかったとしても、もし結婚したいという段階になり、親や親戚から「障害者と結婚するなんて!」と大反対を受ける可能性があります。

そこまで来て別れることになるぐらいなら、つきあわない方が良いと思ったからです。

 

実際、彼はこの頃、私と一緒に歩いている様子を知り合いに見られ

「お前、障害者とつきあっているのか?可哀想だし、未来はないし、つきあうのはやめておけ」といわれたそうです。

本当に恵まれていた。理解のある家族

私は彼に「親御さんにつきあって問題ないか聞いてほしい」と頼むのです。

数日後、彼のお母さんから手紙が届いたようで、その手紙をタイピングして、メールに書いて送ってきてくれました。

そこにはこう書かれていました。

 

「私はあなたに障害があっても全く気にしません。

私の家族はみんなそう思っています。

それより、息子が選んだ人ならば、あなたに障害があろうと、なかろうと、私たちは親としてそれを尊重して応援したい。

あなたは自信を持って、○○(彼の名前)と堂々とつきあったら良いのです。頑張ってくださいね」

 

私、これを読んで、嗚咽。大号泣状態でした。

 

遠距離恋愛解消。しかしここからが課題だった

親子

遠距離恋愛は最初の8ヶ月だけでした。

そのときは月に1度会って、お互いが東京と京都を行き来していました。

そのとき彼は大学4回生。

 

私も彼の就職でつきあいは終わるかもと思っていたのですが、なんと

「決まっていた内定を全部蹴って、彼は京都に来てしまったのです!!」

うちの両親彼を認めず

最初に京都に来た頃は、彼には仕事がありませんでした。

京都に来て就活すれば、すぐに見つかると思っていたのですが、そんなに世の中は甘くなかったのです。

 

その頃はさすがに母も彼がいることは知っていました。

お金もないので、街中には出られず、デートは「近所の公園でしゃべるだけ」も多くありました。

夕方、彼が私を家まで送ってくれるのですが、母は彼を絶対に家の中には入れませんでした。

母「ありがとう。またね」で、玄関でさようならです。

 

「玄関でさようなら」→「お茶飲んで行く?」になるまで1年

「お茶飲んでいく」→「ご飯食べて行く」までそこから2年。

 

後の結婚の時も感じましたが、障害者の親のタイプの一つに

「自分はこの子を一生守る」と考える所有権の強いタイプがあり、私の母はこれでした。

自分を絶対離れないと思っている子どもが、自分以外のところに積極的に行くことに、拒絶感を感じているのだと思われます。

 

私は「お茶飲んでいく」の頃に、一度両親に彼を紹介しようと、母に頼んで一度夕食の機会を設けてもらいました。

しかし、まるでマンガかドラマのような光景が広がったのです。

 

母は、彼がお茶を飲んでいくことには抵抗はなかったので、普通に会話をしてくれました。

姉も同様でした。

 

父 「新聞を広げてついたてにして、決して彼と会話をしようとはいません。目も合わせません。

しかし時々、ちらっ、ちらっと彼の話す様子やご飯を食べる様子をうかがっているのです。

 

つまり完全拒絶状態です。

 

うちの父が突然変わった大事件「お前ご飯食って行け!」

会食

私が家族に彼を紹介した後も、彼が家に来たとわかっていても、絶対にリビングには出てこない父。

いつも母や姉と会話をして、お茶だけを飲んで、彼は帰っていきました。

しかし、その状況が一変する「ある大事件」が起きるのです。

私の両親に対する横柄な態度の光景

私は性格がかなり内弁慶で、両親に対してかなり横柄な口の利き方をしていました。

私の母はもうそれが憎しみとかではなく、ある意味甘えやストレス発散なのはわかっているので、気にもしていませんでした。

 

しかし、それを見た私の彼がぶち切れます。

 

彼「お前さあ、お母さんに対してなんて失礼な態度取るん?謝れや!(怒)」

私はいつもの事過ぎて、なんで謝らないといけないのかぐらい思っていました。(今思うと、失礼なやつです)

彼「座れや!(怒)」

私「座っているやん。(椅子に座っていたので)」

彼「違う!土下座じゃ!お母さんに謝れ!!」

私(ぶち切れた彼が怖すぎて号泣。その後土下座をして母に謝る)

 

次の瞬間

 

隣の部屋で仕事か本を読んでいた父が、突然リビングに現れるのです。

 

 

「お前!今夜ご飯食って行けや」

 

 

父が彼を認めた瞬間でした。

 

この事件以降、父と彼の距離が縮まり、彼が来る度に父が「ご飯食って行け」と言い、

それが無理なときでも、必ず彼が来るときは父がリビングに出て、会話をするようになったのです。

結果良ければ全てよし

笑顔でまる

夫は今でもこのときの話を

「俺はなんてことをしたんだ。他人に娘が泣かされ、土下座させられてたら、親によっては悪い印象を持って逆に「別れなさい」ってこともあるだろうに」

と言います。

 

しかし、私の父は昭和一桁世代。

親であっても尊敬の念を抱くべきだと思っている父は、娘の私がそれに反して、横柄な態度のため、常に腹を立てていたのです。

 

そんな中、親を含めた目上への尊敬の念を第一に考える私の彼は、父にとって

「よくぞうちの娘にガツンと言ってくれた!本当にありがとう!!」だったのだと思います。

 

良い、悪いは自分ではなく、相手の価値観です。

この事件がなければ、私たちが結婚することもなかったかもしれないと、今でも思います。

 

私は運良く、彼の両親が理解ある人でした。

しかし、実際障害者が恋愛する場合、それこそお互いの身体のつながりも含めて、色々な問題があると思います。

 

障害者同士の恋愛も実際はあると思います。

実際つきあっていくうちに見えてくる相手の障害をどれだけ精査し、理解しお互いの心地よい関係を作り出していくか?

これには答えはありません。

 

それでも障害があるから恋愛しないなんて悲しい選択肢」はしないでほしいなと私は思います。

 

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