決してあきらめない障害者の作り方

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出生時、「3,4日の命」と言われた私がすでに40代。
「人生あきらめなければ何でもできる」を
全ての人々に証明したい。
そんな私の生命エネルギーが燃焼する瞬間を語ります。

障害と私

下肢障害者の私、体力に自信あり。~神に導かれた偶然の出来事の数々

投稿日:2017年2月1日 更新日:

奉子です。こちらの記事で、私が小学生時代はほとんど歩けなかったと申しておりますが、高校以降の私しか知らない方にとってはにわかに信じがたいと思います。

今日は、私がここまで歩けるようになったきっかけの出来事のお話をしたいと思います。

小学校4年(10歳)までベビーカーに乗せられていました

ベビーカー

今の私しか知らない方々にはにわかに信じがたいと思いますが、私は10歳まで、いわゆる赤ちゃんが乗るベビーカーに乗せられていました。

小学校の行きは父が車で送ってくれ、帰りは母がこのベビーカーを持って、学校まで迎えに来ていました。

正確には、小学校の前にはかなり急な坂があり、当時の私は自分一人でその坂を下りることが出来なかったため、学校まで母が来ていたのです。

みんなが下りられないと思った坂をひとりで下りるのを勝手に挑戦。できてしまった私。

しかし、確か10歳のある日、母の迎えが遅く、

私は「なんか下りられるかもしれない。やってみよう」と突然思い立ち、やってみたらできてしまったのです!

それ以来、母が学校までではなく、道の途中まで迎えに来るようになりました。

それでも当時は連続で1㎞ぐらいが限界でした。

 

小学校から自宅まで2㎞。遠いです。

そのため、途中までは歩き、しんどくなったら車いす代わりにこのベビーカーに乗せられ、母が押すというパターンでした。

本当だったらベビーガーではなくもう少し大きめのバギーが適していたのだとは思いますが、本当にベビーカーでした。

ベビーカー踏切でひっかかり破損

同じく私が10歳の時です。いつものように母は私をベビーカーに乗せ、歩いていました。

家の近所の踏切にさしかかったとき、いきなりベビーカーが壊れたのです。

動きはしますが、横のプラスチックの部分が割れたんだったと思います。

 

つまり、20㎏以上ある私を乳児が乗るためのベビーガーに乗るのは、ついに限界が来たのでした。

ベビーカーが壊れた踏切から、自宅までは近かったので、そのまま歩いて帰ったと思います。

それからというもの、私にはしんどくても歩くしか選択肢がなくなってしまったのです。

自宅が引っ越し。さらに学校が遠くなる

家設計図

さらに私に追い打ちをかける出来事が起こります。

自宅の引っ越しです。

時はあと10日で5年生になるという、春休みの3月末でした。

 

私が10歳まで住んでいた家は、お隣さんが所有している家をお借りしていたもので、持ち家ではありませんでした。

父は、やはりマイホームが持ちたいと考えていたようで、土地を購入。

自分で1から設計図を書き、父の友人の大工さんや庭師さんに頼んで、なんと3年近く欠けて自宅を完成させました。

 

新しい自宅は、以前の自宅から1,2㎞ほど離れた、高台の閑静な場所。

当時は空き地も多く、それまで住んでいた家が踏切や線路の沿いだったことを考えると、びっくりするほど静かです。

父は車が運転できたので、高台に行ったことは苦ではありませんでした。

 

しかし、父以外のメンバー絶句。

 

駅からめっちゃ遠い!

 

最寄りの駅までは、ひたすら下り坂を歩いても15分ではきついです。つまり1㎞以上です。

 

父は家をここに建てようと思ったときは、たぶん自分が電車には乗らないので、駅からの距離は考えなかったと思われます。

歩けない私のことは、たぶん「ともは車で駅まで乗せたらいい」ぐらいに思っていたのでしょう。

ベビーカーが壊れるなんて、想定もしていなかったはずです。

 

しかし、ベビーカーはありません。

もう歩くしかないんです。

しかも、小学校は正確には校区外

 

5年での転校は、私が障害者だということもあり、受け入れやいじめ等の問題から、今までと同じ小学校に卒業まで通えることになっていました。

つまり、ただですら2㎞あった小学校が、引っ越しにより3㎞になってしまいました。

行きは父の送り。しかし帰りは歩くしかない

坂道

ベビーカー事件以来、歩くしかなくなった私は、自然と体力が付いていきます。

行きは父の送りにしろ、帰りは、母の迎えもなくなってきました。

2㎞までは仲良しの友達が一緒だったため、楽しく帰れました。

 

友達と別れてから、私の自宅はさらに1㎞先、しかも坂の上です。

ひたすらきつい坂道を上るしかありませんでした。

そう、こうして私は毎日上り坂を2年間通った結果、必然的に足の体力がついたのです。

小学生の登下校時間は恐怖の毎日

小学校

学校帰り、仲良しの友達の家を過ぎて一人で坂を上っている途中に、本来自分が行くはずだった小学校があります。

登下校時間に同世代の子に会うのです。

歩き方が明らかに人とは違う私は、小学生の注目の的。

歩き方を真似されて、馬鹿にされるなんてことは、ほぼ毎日です。

かなり嫌で、小学生の下校時間に学校の前を通ることが本当に恐怖でした。

これは、中学も高校も、そして大人になった今でも、同じようにされます。

大人になってからは冷静に見られるようになりましたが、それも30過ぎてからの話です。

中学時代。またみんなの「無理」を可能にした私。

歩こう

小学校を卒業し、中学もまた許可を取り、本来の校区の中学ではなく、出身小学校の校区の中学校に通います。

変な話なのですが、校区の中学は1㎞以上離れた最寄りの駅から、一駅電車に乗り、さらに歩かないと行けませんでした。

しかし、私の出身小学校の校区の中学は、坂を下りた家から徒歩20分のところにありました。

そちらの方が、友達の面も通学の面も安全で安心だったのです。

中学1年の遠足。ウォークラリー

中学1年の時遠足。ウォークラリーに行く予定でした。

班に分かれて、全部で8㎞ぐらい歩くコースだったのです。

 

3㎞ぐらいまでなら、まあ大丈夫だろうけど、さすがに8㎞は・・・先生も私もそう思っていました。

そこで先生は私に「2,3㎞行って途中で引き返して来たらいいよ」そう言いました。

そして私もそのつもりでした。

 

しかし

気がついたら、同じ班の仲間と一緒に最後まで完走してしまったのです。

先生も、そして 私も みんなも、めっちゃびっくりです!

遠足の後、先生は私に、本当によく頑張ったと、わざわざ賞状をくれました。

 

でも、それは私も単純にとても嬉しかったのです。

自分でも無理だと思っていたことがまだできたのです!

 

このことで、さらに私は自分の体力に自信をつけました。

高校は吹奏楽部。中身は体育会系。体力どんどん、つくつく

吹奏楽部

もう何度も申し上げておりますが、私は高校の時は吹奏楽部

吹奏楽部は文化系ではありません。中身は完全に体育会系。

ジャージに着替えて部活が始まり、腹筋、背筋20回ずつやってから、各パートに分かれて練習です。

部活の休みはたった月1回。

土日も遠征で、楽器もって電車に乗って団体行動です。

足が悪いからといって、気を遣う人は誰もいません。

ついていかなければ、蹴落とされる。そんな世界です。

バスがある場所でも、高校生は歩きます。そして、私もそうするしかないのです。

この厳しい毎日が、私の体力を人並み以上に仕立て上げたのでした。

 

体力は人並み以上。心も体も強い私

車いすマーク

このように、本当に不思議ないろんな要因が重なり、私には強靱な体力がついております。

週2回の鍼灸院通い、中3までの家でのリハビリもあると思います。

はっきり言いますと、他の一般的に足の悪い人とは、歩く速さが全く合いません。

 

一番楽なのは、電動車いすの友人と一緒のときだったりします。

彼女が私の速さに、電動車いすの速度を合わせてくれるのです。

 

朝の通勤時、とろとろ歩く中学生は腹が立つので抜かします。

足の悪くない友人達は、私が歩く速さが早いのを知っているので、別に待ったりもしません。

「こいつはほっておいても、勝手に追いつく」とわかっているからです。

駅はエレベーターでなく階段。わざとです

エレベーター

駅にはたいていエレベーターがあります。

しかし私は、わざわざ遠くまで歩いてエレベーターは乗りません。

階段の方が近ければ、階段を使います。

確かに手すりは必須です。

しかし、遠回りするより、上った方が早いからです。

 

毎日の通勤時、私は自宅最寄り駅は最短が階段なので階段。

会社の最寄り駅は、晴れや足の調子の良いときは階段。

雨の日と足が明らかに調子の悪いときは、エレベーターと決めています。

 

一般的には、「足の悪い人=階段はしんどい。エレベーターが最適」です。

痛みがあったりする人は、階段は良くありません。

 

しかし、私は違うのです。

私の障害は脳性麻痺です。足が痛いわけではありません。

脳の指令が上手くいかず、正しく歩けないのです。

私の場合は「ある程度動かして、かつ、使いすぎず、休ませすぎず、ケアをしっかりすることが大切」と言われています。

つまり、使わないと、筋肉が落ちるのです。また使わないと足の筋肉が硬直し、余計に動かしづらくなります。

筋肉が落ちると、歩けなくなる可能性があります。

私がそれが嫌なので、「今日は硬直して転びそうだ」

「雨が降っているから手すりが濡れている」のとき以外は、近道が階段の場合は階段を利用しています。

 

そうしているので、待ちで本当に良く声をかけられます。

「エレベーターこっちにありますよ」とね。

しかしいつもにっこり笑って「すみません。実はエレベーターあるのわかっててわざと階段なんです」と説明する日々です。

 ここまでの道のり、神様のお導きかも

ここまでの事件を振り返ってみても、どう見ても偶然の出来事が多すぎます。

これは自然と私に体力がつき、一人で歩けるようになるように神様が導いたのだぐらいに思っております。

そして自分でいうのもなんですが、めっちゃ心も強く、打たれ強いです。

 

そんな私は、健常の友達から何人も

「あんたは私よりもずっと元気や。ホンマに負ける」と言われております。

こんな私ですが、よろしくお願いいたします。

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