決してあきらめない障害者の作り方

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出生時、「3,4日の命」と言われた私がすでに40代。
「人生あきらめなければ何でもできる」を
全ての人々に証明したい。
そんな私の生命エネルギーが燃焼する瞬間を語ります。

障害と私

初めての敗北感、そこから始まった挑戦とは?

投稿日:2017年1月5日 更新日:

奉子です。今日は私の負けず嫌いの正確の基礎となったある体験のお話をします。

みつかりにくいタイプだった私の障害、脳性麻痺

母の話によると、40年前の医療では、私の障害はみつかりにくいタイプの脳性麻痺だったようで、いわゆる「這うことはできるのに歩かない。なぜだ?」から始まったようです。

保健所の健診等ではわからず、結局原因を突き止めたのは、国立病院にそのとき週に1度だけ非常勤で来ていた小児神経の先生でした。

 

その先生の紹介で、北野白梅町にある障害者専門の病院に行き始めて私のリハビリが始まりました。

その病院には併設の保育施設があり、1日のうち半日が保育、半日がリハビリというプログラムでした。

私が今も続けているリハビリ、「ボイタ法」という名前のリハビリです。

訓練台の上に子どもを乗せ、理学療法士の先生の指示に従って親が必要な場所を抑えるという感じです。

 

私はとにかくその訓練が嫌でした。

まあ裸のパンツ一丁で親があちこち抑えてくるんですから気持ちの良いものではありません。

物心つくまでは毎回泣いていたでしょうし、ある程度大きくなってからは嫌がってその指示の態勢になかなかならないって感じだったと思います。

 

しかし、残り半日の保育は逆に私の天下でした。

私より障害の重い子どもたちも多く、私のように歩けない以外は言語にも内臓にも障害がない子どもは数多くはいませんでした。

しかも、這わせたら誰もよりも早かった。

その保育施設の中では一番動けた子どもだったんです。

初めての敗北感。10日間の入院生活

もともとの障害とは関係なく、私は4歳の時に大阪にある小児専門の病院に短期入院をしました。

理由は右目の斜視の手術です。

当時はなぜ自分が目の手術をするのかはもちろんわかりませんでした。

母に聞いても納得のいく答えではありませんでした。

「なんか知らないけど入院して目の手術するんや」みたいな感じです。

 

その病院は面会禁止の病院でした。土日のみ両親の面会が可能かどうかぐらいでした。

そのとき同年代の子供たちが同じ日に手術をするため、入院日も退院日も同じの6人同部屋でした。

喋りは同じようにできます。誰かのベットで一緒にままごと遊びもできます。しかし、部屋から移動ができません。

 

当たり前です。他の子は全員自分で歩いて走ってできるのに、私は這うとどこかにつかまって歩くしかできなかったわけです。

 

障害児の保育施設では一番だった私が初めて感じた「敗北感」でした。

 

どうして、私だけみんなと同じように、歩いたり走ったりできないんだ。

歩きたい。

 

そう思いました。

たぶんここから始まった。負けず嫌いのチャレンジ精神

このときはすでに伝え歩きはなんとかできたことははっきり覚えています。

しかし、どこも持たずに歩くことはかなりの困難でした。

つまりトイレは誰かに連れて行ってもらわないと行けませんでした。当時は和式トイレしかないので尚更です。

 

夜中に同部屋の子がみんな「部屋の外の廊下のどこかに行こう」と走り出しました。

そのときトイレに行った子もいました。

 

私もそれについて行こうととりあえず廊下には出たものの、手すりがないと歩けない私はある地点までしか行けませんでした。

廊下にとりあえず出た私は、みんなに追いつくのことはあきらめましたが、「ひとりでトイレまで行ってみよう」そう思いました。

 

しかし、トイレは廊下の先です。

這うことは可能でした。しかし手すりのない場所で立ち上がるのは不可能な私です。

 

とりあえず歩いて行ってみよう、そう思いました。

 

手すりがない部分は必死で壁を持ってなんとかしたのを覚えています。とにかく一歩一歩進むしかありません。

 

結局最後にはトイレ目前のところで、持てるところがなく力尽きました。

 

しかし、帰りも這えば早いのに、同じようにして敢えて時間をかけて歩いて帰ったように思います。

 

途中で、看護婦さんにみつかり「ともちゃんどうしたの?ひとりでどこか行こうとしたの?」と言われたと記憶しています。

「他の子と同じように歩きたい。」私を動かした強い思い

周囲の大人はみんな「この子は歩けない。できない」そう思われてきました。

今でもそうですが、何でも決めつけられることが嫌だったのだと思います。

 

この当時ひとりで歩こうとした私も「大人は絶対にできないと思っているけど、ここでできたらすごいかも。。見ていないからこそやってみよう」と思ったのだと思います。

 

この体験から私の今もなお続く、「出来ない」を「出来る」に変え続ける人生が始まったのだと思います。

 

どこかであきらめていませんか?

これを読んでいただいている方で、子どもさんの何かできないことをあきらめている方いらしゃいませんか?

大人になっても「どうせ無理だし」が口癖になっている方、いらっしゃいませんか?

できないをできるようにするにはかなりの時間と労力がいるのは確かです。

本当にしんどいです。

 

しかし、前に進みたいと思う強い気持ちがあれば、たとえ自分の理想の形じゃなかったとしても必ず何か答えが出ます。

あきらめたらそれまで。それが私の答えです。

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