決してあきらめない障害者の作り方

Vielife


出生時、「3,4日の命」と言われた私がすでに40代。
「人生あきらめなければ何でもできる」を
全ての人々に証明したい。
そんな私の生命エネルギーが燃焼する瞬間を語ります。

障害と私

障害者の結婚、私が乗り越えたハードルはこれだ!

2017年2月23日

奉子です。こちらの記事にもありますように、私は彼とつきあい始めて親に認めてもらうまで、4年近くの月日を費やしております。

4年もあれば、結婚している人もたくさんいます。

私がここから結婚するまで、さらに3年の月日を費やしました。

私や彼が両親を説得し、本当にみんなから祝福される結婚に至るまでの、問題と解決方法。

その他結婚した障害者の友人の話も含め、障害者の結婚について話したいと思います。

彼の家への訪問。母の大反対

カップル

父に認められ、気軽に夕食を食べられるようになってしばらくして、彼から私に、提案がありました。

「GWに長野に帰るときに、君を連れて行って、僕の家族に君を会わせたい」

彼の実家は長野です。しかも、南ではなく北信です。

決して、日帰りで帰れるような距離ではありませんでした。

 

私はそれを受け、母に伝えます。

「Tくんから私を長野に連れて行きたいと提案があったので、GWに長野に行こうと思います。」

「そんなん、絶対アカン!」

 

理由を聞いても「アカンもんはアカン」といって聞く耳を持ちません。

私もアカンといわれたまま、強引に行くこともできないため、説得にかかろうと試みますが、全く取り合ってもらえませんでした。

 

そこで、父に相談します。父もびっくりしましたが、

父「向こうの家族はお前の障害のこと知っているの?」

「お前が行ったら逆に迷惑がかかるから、お母さんは反対しているんだと思う」

私「最初につきあう段階で、私の障害のことは彼の家族に話していて、彼のお父さんとはすでにメル友で、色々話をしている」

父「彼の家族が迷惑でないのなら、俺は行っても良いと思うけど、お母さんには自分でなんとかしろ」

 

えー!お父さん、助けてくれないんだー(泣)

 

それからも母がひとりのときを狙って、話をするもとりあってもらえず、最後は母をよく知る鍼の先生にも相談し、対策を考えました。

そこで母に

「二人とも軽い気持ちで、遊びに行くではないこと」

「彼の家族も私の障害を含めて了承済みであること」

「この先の将来も含めて、彼も私も真剣につきあっており、どうしても行きたいこと」

「日帰りで行ける距離ならそうしているが、どんなに頑張っても無理なので仕方なく泊まりになること」

「彼のお父さんとはすでにメル友で、コミュニケーションをとっていること」

を本当に、2週間ぐらいかけて「毎日しつこく」話をしました。

私と話をしたくない空気の母に、強引に話しかけ、言い続けるのです。

 

母の長野行きの一番のネックは

「彼の家族は男性しかいないこと」でした。

彼のお母さんやお祖母さんが、その数年前から相次いで亡くなっておりました。

帰省するお祖父さんの家は、男性しかいなかったため、家事の全くできない私が行っても、迷惑になるだけと考えていたのでした。

 

最後の最後は、奥の手を使いました。

「お父さんもおっちゃん(鍼の先生)もこの話を知っていて、二人ともお母さんだけが了承していないことも言った」

「お父さんは『行っても良い』」とくれた。それでもダメなの?」

これを言っても最初はダメでした。

「お父さんが行っても良いといってもアカン!」

しかし、これを2週間、母の拒絶の空気に打ち勝ち、毎日続けた結果、最後は母は根負けして、渋々承諾してくれました。

 

初めての長野。彼の家族と仲良くなれるかなあ

彼と一緒に行った初めての長野。

とても緊張しました。

私に障害があることはもちろん事前に話していたものの、本当に受け入れてもらえるのか心配でした。

しかし結果は

 

「ともちゃん、よく来たね。待ってたよ。

やっと会えたね。どうぞどうぞゆっくりしていって」

 

大歓迎でした。

 

このときの衝撃をうちの夫が今でも言います。

 

「俺もさ、数年ぶりに親に会って久しぶりだったわけなんだけどさ、あのときのうちの父さんのあんたの歓迎ぶりは半端なかった。

どこかのアイドルみたいな扱いで、その一方で僕は

「あ、Tくんいたの?久しぶりお帰り。」ってあっさり。

「『ガーン( ̄0 ̄)』」 って俺思ったわ」

 

それからも、私と長野の家族は良好な関係を築き、そこからちょうど1年後のGWです。

彼から再び「今年も一緒に長野に行こうよ」と提案があります。

ここでももちろん母に一度は「え?また行くの」というあまり良くない反応をされます。

しかし、昨年一度行って、先方にそこまで迷惑になっていないという実績があったため、1度目の壁に比べればあっさりクリアでした。

2度目の長野。長野の家族から衝撃発言

ご縁がある

2度目の長野です。

昨年に引き続きなのでそこまで、みんなもびっくりすることもなく「あーよく来たね。いらっしゃい!」程度だったのです。

 

しかし、お祖父さんから衝撃発言が出るのです。

「奉子さんも2回目だしね、おい○○(彼の名前)、お前は奉子さんといつ結婚するんだ?」

 

そう、彼の中では「そろそろ」とは思っていたものの、具体的にプロポーズをしたわけでもなくのところに、お祖父さんからのある意味「アシスト」があったわけです。

 

結局、その長野からの帰りの電車の中で、プロポーズの言葉もないまま、彼から「この先結婚してどんな家に一緒に住みたい?」みたいな具体的な話をしました。

そして、「来月、君の両親にきちんと挨拶に行く」という宣言があり、私たちは正式に結婚に向かって動き出したのでした。

お祖父さんのあの言葉がなかったら、またタイミングを逃していたかもなあと、後になっても思います。

正式結婚申し込み挨拶に行くも。また母拒絶

嫌い

彼が私の家に、結婚申し込みの挨拶にやってきたその日のことです。

彼「奉子さんと結婚したいと思います」

 

色々細かく話した結果

 

父の心の中「え?ホンマか?ええんかこんな娘で。Tくんが家族になってくれるなら大歓迎。」

母「無言。拒絶の空気をかもしだしている」

 

本当に両極端でした。

 

父も最初は、「とも(私)に障害があるから、この先車椅子になったり、寝たきりになったりする可能性もあり、迷惑になるけど本当に良いのか?」と言っていました。

しかし彼が、「それも含めて考え抜きました。たとえ車椅子や寝たきりになったとしても結婚したい!」と言ってくれたため、父は快諾。

 

結婚前から気に入っていた彼が、自分の息子になるのです。

そこが、さらに嬉しかった要因です。

 

しかし、母は何にも言ってくれません。

プロポーズから結婚式まで約1年。

結局、その数ヶ月後、彼の両親も京都の家に正式な挨拶に来てくださり、結婚は正式決定。

実は両義母が挨拶に来るというこのときも、母は難癖をつけてきました。

 

「釣書書いてきて」

 

釣書が何かを知らない方もいらっしゃると思います。

釣書(つりがき・つりしょ)とは一般的にお見合い際に、自分の経歴等を書いて相手の家に渡すものです。

こういうものですが、どうぞよろしくということです。

 

実際私たちは、恋愛結婚ですが、両家挨拶の席に釣書の交換をお互いにしました。

母の頑なさはもう半端ありません!

もちろん父は、そんなことは求めておらず、大歓迎。

 

母も頭では承諾はしていたと思います。

しかし、実際正式決定した後にでも、式場の場所にしろ何にしろ、自分たちが決めて出した結論を、母が「気に入らない」と難癖を付けてきました。

「私は気に入らない。」

「私はそんな場所には結婚式行かない。」

そのため、プロポーズされてから、実際に結婚するまで、約1年という長い期間を要することになったのです。

母の拒絶反応。きっとこんな理由

私の結婚を頭ではわかっているけど、拒絶反応。

これは私は結婚して家を出る当日も、そして今も、わずかながらどこかで続いている現象です。

 

これはこんな理由だと思います。

私を育てるのに、母は家でのリハビリや鍼灸院通い。毎日の学校の送り迎え。ピアノレッスンの送り迎え等

「障害のあるわが子を、少しでも一般社会に溶け込めるように育てたい」

どうみても、他の健常の子どもより、私は母と過ごしている時間が長いのです。

 

結びつきが非常に強いので、どこかで

「この子は私なしでは生きていけない。この子は私の分身。ずっとこの子と一緒。

この子の人生は私の人生。この子の人生は私が決める」

と思っていたのでしょう。

 

それなので、「結婚」という言葉は全く自分の眼中・頭中になかった。

そのため、受け入れられなかったのだと思います。

自分の心にぽっかり穴が開く感覚の空虚感なんだと思います。

 

私からすれば、高校の先生の言葉じゃないですが、

「お母さんが死ぬからって、私は一緒に死ねないわ」って思います。

 

結婚して10年経とうとする今でも、母は私のことを他の人に

「あの子は結婚したのではなくて、勝手に私の元を離れていった」と平気で言っています。

「お母さん、気持ちはわかるけど、いい加減に自分の人生歩んでいって」と思います。

 

障害者の結婚。私の友達の話色々

お茶

ここからは障害を持つ友達で、結婚した子に相手の家族も含めて聞いた反応の色々です。

友達A

女性:(車椅子)男性:健常者で恋愛結婚。

自分の両親には、結婚は許してもらえたが、彼側の親戚はお母さん以外は障害のある自分は許してもらえず、親戚の集まる場所には行けないとのこと。

しかし、彼も「誰にも許してもらえなくてもAちゃんと結婚したい」という強い意志があり、親戚の集まりは一緒に行けないが、二人は幸せに暮らし続行中。

 

友達B

女性:(車椅子)男性:健常者で恋愛結婚。

このカップルは両方の両親ともに許してもらえず。

しかし、ふたりとも40代過ぎてからの結婚のためか、「両親に許してもらえなくても、私たちで決めた人生を生きる」とふたりは幸せに暮らし継続中

障害者同士で結婚している友人もおり、ここは、最初は「障害者同士で結婚するなんて!」と大反対に遭ったそうですが、一生懸命説得して、今は幸せに暮らし続行中。

障害者の結婚。私が必要思う覚悟4つ

一般的に、障害者同士であっても、「余計に苦労する・大変」という思いから、反対する家庭も多いと思います。

障害者同士、障害者と健常者であっても、結婚となると「自分たちも特殊な人達を親戚にしたくない。関わりたくない。しんどい思いはしたくない」

という思いから、基本的に拒絶する人は多いかと思います。

 

私のような夫の家族も含め「歓迎してくれる家族」は本当にすごいことだとは思います。

みんながそうであってほしい。本当はそう思います。

 

しかし現実はそう上手くはいきません。

障害者が結婚するということは、下記の3つが必要と思います。

 

「親と絶縁する覚悟」

「その相手と一生何があっても添い遂げる覚悟」

「自分が動けなくなったときのことを想定し、対処策を常に考えることができる」

「障害者自身が、世界中の他の誰よりも、相手を精神的にサポートし、二人は誰よりも幸せになるという覚悟」

 

この4つが持てて、初めて成立するのではないかと思います。

もちろん、一番大事なのは、最後の

「障害者自身が、世界中の他の誰よりも、相手を精神的にサポートし、二人は誰よりも幸せになるという覚悟」

です。

さあ、障害者の皆さんも腹くくって誰よりも幸せになると覚悟を持ち、勇気を持って第一歩を踏み出して見ませんか?

結婚って、山あり、谷ありですが、人生、生きてる」って感じしますよ!!

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